2014年07月09日
和歌山大空襲
今日は和歌山大空襲の日です。
子どもたちの小学校では(ずいぶん昔ですが)7月9日は、日の丸弁当をもって暑い屋上で
食べるということをやっていました。
1945年7月9日、22時25分に和歌山県全域に空襲警報が発令。
23時36分に河西部の湊河口付近へ照明弾を落として、爆撃を開始。
その後、アメリカ軍は紀ノ川駅周辺を爆撃し、和歌山市駅、ぶらくり丁、和歌山県庁舎付近、
和歌山市役所付近などに焼夷弾や油脂弾を落としたため、中心部はほぼ壊滅状態になった。
また、市民は4,000坪の空き地になっていた旧和歌山県庁舎跡(現:汀公園)に避難していたが、
そこを火災による熱風が襲ったため、そこだけで748人もの死者を出してしまった。
和歌山市の市街地に対する大規模空襲により、和歌山の象徴であった和歌山城が炎上。
城内には旧国宝の白亜の天守をはじめとする多数の国宝や建築物などがあったが、
岡口門など数棟を残して全焼。
戦後の1958年に和歌山市民の熱意により天守は鉄筋コンクリート構造で外観復元された。
ご冥福をお祈りします。
子どもたちの小学校では(ずいぶん昔ですが)7月9日は、日の丸弁当をもって暑い屋上で
食べるということをやっていました。
1945年7月9日、22時25分に和歌山県全域に空襲警報が発令。
23時36分に河西部の湊河口付近へ照明弾を落として、爆撃を開始。
その後、アメリカ軍は紀ノ川駅周辺を爆撃し、和歌山市駅、ぶらくり丁、和歌山県庁舎付近、
和歌山市役所付近などに焼夷弾や油脂弾を落としたため、中心部はほぼ壊滅状態になった。
また、市民は4,000坪の空き地になっていた旧和歌山県庁舎跡(現:汀公園)に避難していたが、
そこを火災による熱風が襲ったため、そこだけで748人もの死者を出してしまった。
和歌山市の市街地に対する大規模空襲により、和歌山の象徴であった和歌山城が炎上。
城内には旧国宝の白亜の天守をはじめとする多数の国宝や建築物などがあったが、
岡口門など数棟を残して全焼。
戦後の1958年に和歌山市民の熱意により天守は鉄筋コンクリート構造で外観復元された。
ご冥福をお祈りします。
Posted by 和歌山こどもの広場(わかば) at 08:37│Comments(0)
│徒然☆rikotan